篳篥(ひちりき)
雅楽を聞くと、最も目立つ(大きな音)楽器です。9孔の管楽器で、頭部に平たく潰した葦を刺し込んで主旋律を奏します。この平たく潰したものを「舌(した)」(=「リード」)と呼んでおり、これを演奏前に湿らせて吹きやすいように調整します。
楽器が小さいため、1オクターブあまりしか音程の幅はありません。暁の猿の声を模すとも言われております。
日本では珍しいダブルリード楽器で、「塩梅(えんばい)」という音程を滑らかに変える特徴的な奏法を多用します。これがうまくいくことを「いい塩梅(あんばい)」と言って、今の言葉の語源にもなっているといわれています。 |
笙(しょう)
17本の竹を組み合わせた楽器で、5〜6の音の重なりを吹き、包容力のある音で旋律の土台をつくるとともに、旋律の流れに周期的なうねりを与えます。中に響銅(さはり)で作った簧(した:リード)がついており、これが振動して音が鳴ります。吹いても吸っても音が出ます。幻想的な音が出ます。
17本の竹はそれぞれ名前が付けられており、「也(や)」と「毛(もう)」という2本については音が出ません。よく言われる「聞くだけ野暮(やぼ)」の「やぼ」は、この音が出ない「也」と「毛」が訛ってできた言葉のようです。
楽器の底部に蝋があり、電熱器等で温めて音が出るようになります。真夏は大変です… |
龍笛(りゅうてき)
7孔の竹製の横笛で、2オクターブほどの広い音域をもつ楽器で、その鋭く澄んだ音色は、変化に富んだ旋律を演奏します。鳳凰または龍の声を写したともいわれています。
雅楽における龍笛の役割は、通常、篳篥の主旋律に対して装飾的な旋律を奏でますが、ときには主旋律を奏したり、あるときはソロで奏したりと様々な活躍をみせます。また曲によって、高麗笛(こまぶえ)、神楽笛(かぐらぶえ)を用いることもあります。
『陰陽師』の映画でも登場する横笛の名人・源博雅が愛した楽器が龍笛であると伝えられています。 |
鞨鼓(かっこ)
鼓(つづみ)を寸胴にしたようなもので、2本の細いバチで、一定の周期で決まったパターンを繰り返して打ちます。雅楽には指揮者がおりませんので、この鞨鼓が音楽の流れを統制する重要な役割を果たすことになります。よって熟練した奏者が担当することが多いです。
右手で一つか二つポンと打つ「正」と、両手または片手で細かく掻くように打つ「来」という奏法があります。 |
太鼓(たいこ)
管弦のとき最前列中央に配置されるので、最も目立つものです。炎のような装飾のイメージがあります。波の音を聞いてその音を写したといわれています。
音楽の中で周期の節目を示すとともに、後半終わりに向けて打つ数を加えていくことにより高揚感を与えます。左手で節目の前触れに弱めに「図」と打ち、右手で節目に強く「百」と打ちます。
舞が加わる舞楽では、特大サイズの太鼓(=「大太鼓(だたいこ)」)が使用されます。 |
鉦鼓(しょうこ)
金属製の皿型(さらがた)を、両手の桴(ばち)で打って鳴らす楽器で、桴の先は、らっきょう型の玉(ぎょく)や牙(きば)などの固い素材で作られています。「楽鉦鼓(がくしょうこ)」または「釣り鉦鼓」とも呼びます。
鞨鼓や太鼓に付随して打たれ、金属的なチンという響きは太鼓に余韻のような彩りを添えます。 |
琵琶(びわ)
雅楽の琵琶(「楽琵琶」と呼びます)は絃が4本です。座った両膝の上に水平に構えて演奏します。左手で柱を押さえ、右手の撥(ばち)で絃を上から撫でるように弾き下します。旋律は奏さずに、旋律に沿って音を誘い出すように弾き、主にリズム楽器の役割を果たします。
もとはペルシャ起源の楽器で、シルクロードを経て東方に伝わったものは中国に入って琵琶に発達し、西方に伝わったものはヨーロッパに入ってギターになりました。 |
箏(こと・そう)
13絃からなり、近世邦楽の箏に比べ絃は太く柱は細いです。本体は桐で作られており、爪(つめ:フィンガーピック)は竹の節の部分を小さく削り出した細いものを使用します。琵琶と同じく旋律は演奏せず旋律に沿って決まったリズムを刻み、旋律の速度を決める役割を果たしています。山田流や生田流の箏と区別するために「楽筝(がくそう)」とも言います。 後年、箏の演奏を特に聞かせるために考案された残楽(のこりがく)という演奏形式が、今日の邦楽の箏曲へと展開していきました。 |
| <あ行> |
安摩(あま)
林邑の八楽の一つとして仏哲により伝えられ、仁明天皇(833〜850)の時、勅命により大戸清上(おおべのきよかみ)が改作したと伝えられています。
舞も残っており左方襲装束の両肩を脱ぎ、冠、巻纓(けんえい)、老懸(おいかけ)を着けて、右手に笏(しゃく)を持って舞います。特に面に特徴があり、滑稽な雑面(ぞうめん)を着けています。舞振りは、地鎮の行為とも、龍女が好む雀の面を着けて龍宮に忍び込み、宝玉を盗みだす様子を表現したものともいわれています。
「安摩」だけ独立して舞われることはほとんどなく「二の舞」と続けて舞われ、「二の舞」は「安摩」の答舞の型となっています。 |
越殿楽(えてんらく)
最も有名な曲です。神前式挙式の「三献(さんこん)の儀(=三々九度)」等で、一度は耳にしたことがあるかと思います。雅楽を習うと入門曲として必ず練習するほど有名な曲ですが、実は確かな由来がよく分かっていません。『楽家録』によると、大唐の漢文帝の作ともいわれています。
また、一説には「項羽と劉邦」で有名な劉邦側の軍師・張良の作ともいわれています。
雅楽には現在、6つの「調子」があり、この越殿楽は、「平調(ひょうぢょう)」、「盤渉調(ばんしきちょう)」、「黄鐘調(おうしきちょう)」があります。それぞれ全然異なった曲です。もとは平調の曲であったようです。慣例として、おめでたいときには平調の越殿楽を、悲しい出来事があった時には盤渉調の越殿楽を演奏します。
民謡「黒田節(くろだぶし)」などに旋律が使われています。 |
振舞(えんぶ)
周の武王が、殷の紂王(ちゅうおう)を討たんとしたとき、商郊の牧野で左に黄鉞(こうえつ)を杖とし、右に白旄(はくぼう)をとって戦勝を天地の神祇に祈った様をかたどって舞としたと伝えられています。「厭舞(えんぶ)」とも書き、「戦勝の舞」とも言います。 振舞には、左方と右方の舞振りがあり、古来から、左方は男性的で力強く、右方は女性的で柔らかい舞振りであるといわれています。正式には振舞三節(さんせつ)といいます。まず、左方の舞人が一節を舞って降台し、次に、右方の舞人が二節を舞って降台します。最後に、左右二人の舞人が登台し一緒に三節を舞います。これを合鉾(あわせぼこ)といいます。 |
| <か行> |
賀殿(かてん)
仁明天皇の承和年間(834〜847)に、遣唐判官の藤原貞敏は廉承武より琵琶を習い、琵琶の譜によってこの曲が日本に伝わったと言われています。その琵琶の譜から和邇部太田麿(わにべのおおたまろ)が笛の譜を作り加えて、林真倉が舞を作ったとされています。舞はこの曲専用の甲をかぶり、右肩をぬいだ襲装束を着ます。壱越調の音取に続き、道行に壱越調の「迦陵頻急」を奏し、舞人は出手を舞って位置につきます。「破」と「急」を舞い、重吹きで退出します。
現在では新築祝いなどで演奏される場合がありますが、楽曲の由来とは直接関係はないようです。名称の「殿」という字から、関連して演奏されているようです。 |
迦陵頻(かりょうびん)
天平八年(736)に林邑の僧・仏哲(ぶってつ)により伝えられた「林邑八楽」(りんゆうはちがく)の一つです。
「迦陵頻伽(かりょうびんが)」という上半身が人、下半身が鳥、卵の中にいるうちから鳴き出し、美声で鳴くインドの神話に登場する生き物で、「妙音鳥」・「好声鳥」とも意訳されます。この鳥は極楽にいる目出度い霊鳥といわれ、祇園精舎の供養の日に飛んできて舞った有様を妙音天が舞曲としたといわれています。
童舞(わらべまい)の代表曲であり、4人の幼い子供が舞人となります。頭に紅梅を挿した天冠、美しい鳥の羽を背負って、銅拍子(どびょうし)を両手にもってこれを鳴らしながら舞います。 |
傾盃楽(けいばいらく)
太食調の曲です。序・破・急の三章が揃っていたようですが、現在は急だけが残っています。
唐の太宗(在位627〜649)が長孫無忌に作らせたとも、太宗または玄宗の作ともいわれています。唐の玄宗(在位712〜755)の誕生日である「千秋節」に、馬100頭を飾り付け、これを見ながら酒を飲み、盃を傾けたための「傾盃楽」という曲目になったと伝えられています。残念ながら舞は残っていませんが、演奏からほろ酔い加減の雰囲気が伝わってきます? |
還城楽(げんじょうらく)
この曲名の由来は、一説には「見蛇楽(げんだらく)」が転じたもので、蛇を好物として食していた中国西方の胡国の人が、蛇を見つけて捕らえ喜ぶ様を舞いにしたものと伝えられています。また、唐の玄宗が専横的な伯母・韋后を誅して凱旋した曲ともいわれています。玄宗の死後宗廟で奏すると玄宗の霊魂が蛇となって現れ、喜んだといいます。
舞楽では、舞人は蛇を見つけて喜ぶように舞います。面も迫力のある容貌で、額に血管が浮き上がった赤い顔、太い眉で鼻は大きいのが特徴です。
「抜頭(ばとう)」と同じように、この曲にも「右舞(うまい・右方)」と「左舞(さまい・左方)」の両方があります。右方は夜多羅拍子(やたらびょうし)、左方は只拍子(ただびょうし)で舞います。 |
五常楽(ごしょうらく)
これも「越殿楽(えてんらく)」に続き、ポピュラーな曲で、管楽器の手解きでよく教えられますし、神社でもよく演奏されます。
この曲は、唐の太宗(7世紀)の作といわれ、「五常」とは「仁・義・礼・智・信」(人の守るべき道徳)のことで、これを「宮・商・角・微・羽」の五音に配したといわれています。西洋のクラッシック音楽の楽章(第一楽章、第二楽章等)と同じように、雅楽にも「序・破・急」といわれる楽章があり、この序・破・急の全ての楽章が完全に残されて伝えられている数少ない一曲です。 |
胡蝶(こちょう)
延喜六年(906)に、宇多上皇(うだじょうこう)が童相撲(わらわずもう)に行幸された時、曲を山城守藤原忠房(やましろのかみ ふじわらのただふさ)が作り、舞を式部卿敦実親王(しきぶきょう あつみしんのう)が作ったといわれています。
胡の国の蝶が喜々として遊ぶさまを舞にしたともいわれ、「迦陵頻(かりょうびん)」と共に数少ない童舞です。舞の動きや仕草に愛らしさが感じられ、衣装は、美しい蝶の羽根を背に付け、山吹の花をさした天冠をかぶり、山吹の花の枝を持って舞います。なかなか演奏会でも演じられる機会が少ない曲ですが、五月五日の子どもの日に、春日大社「万葉植物園」で毎年演奏されます。 |
胡飲酒(こんじゅ)
この曲も「蘭陵王」「迦陵頻」等とともに「林邑八楽(りんゆうはちがく)」で、736(天平8)年、林邑の僧・仏哲が日本に伝えたと言われています。装束は、白地に牡丹唐草の華やかな模様の胡飲酒専用の裲襠(りょうとう)装束で、赤色で大きな鼻の面をつけ、手には瓶子を象った大きめの桴(ばち)を持って、酒に酔った様をあらわしている舞といわれています。当時の酔っ払い(?)の雰囲気がわかる曲といえるでしょうか? |
| <さ行> |
酒胡子(しゅこし)
別名「酔公子(すいこうし)」、壱越調の曲で舞はありません。他の調子にも同名曲があります。中国唐代の貴人が酒を飲むときに、この曲を奏したと伝えられています。堀河天皇の頃(1090)に双調から移調されたともいわれており、小さくまとまった楽曲で、法要楽にはよく用いられます。 |
拾翠楽(じゅすいらく)
黄鐘調といえばこの曲というくらい有名な曲です。
作曲は笛師の大戸清上(おおとのきよかみ)、あるいは源頼能といわれ、按舞は尾張浜主(おわりのはまぬ)といわれています。もとは序・破・急の三部から成る大曲でしたが、序と破は絶えてしまいました。
昭和元年(834)仁明天皇即位の式に、豊楽殿の庭上を海浜の情景にしつらえ、舞童を乗せた帆船を置いて、海人が海草を拾う様を舞にした伝えられていますが、舞の方も残念ながら残ってはいません。 |
春鶯囀(しゅんのうでん)
唐の高宗(649−683)が鶯の声を聞いて、楽工白明達に命じて、その鳴き声を曲にしたといわれています。春らしいゆったりした、しかし非常に長い曲で有名な一曲です。
日本では、承和十四年(847)に、尾張連浜主は百余歳でこの舞を舞ったと伝えられているそうです。また、内教坊の軟舞で、舞女十人袖をつらねて舞ったともいわれています。
この曲は数少ない全曲伝承の「大曲」の一つです。舞楽は6人で舞い、とにかく長い曲で難しい舞ですので、うまくないと舞い切れません。 |
青海波(せいがいは)
中国西域地方の青海省の地名を用いたという説があり、和邇部太田麿が曲を作り、良峯安世が舞を作り、小野篁が詠を作ったといわれています。この曲の特徴は装束にあります。頭につける甲から足先まで、すべて千鳥に関わる文様が施されています。装束以外には、太刀をつけますが、鞘には千鳥と波文様が蒔絵と螺鈿で付され、金具は枝菊の透彫りになっています。
打ち物の奏法に千鳥懸(ちどりがけ)、男波(おなみ)、女波(めなみ)などという美しい名称が付けられているのも特徴です。『源氏物語』に登場する曲目として有名で、光源氏と頭中将が帝の前でともに舞ったと書かれています。 |
蘇合香(そこう)
盤渉調の曲で、唐楽の大曲の一つです。雅楽では、短い曲を小曲、少し長い曲を中曲、長い曲を大曲と言い、大曲の中でも、特に長い曲と舞があるものが四つあり、それを四箇大曲とよび、これはその一つになります。六人で舞う曲で、上演すれば3時間程度(!)かかるといわれています。
昔、天竺(インド)の阿育王(アショカ)が病に倒れた時、蘇合香という薬草を服して回復したという。王はこれを徳として、自らが楽曲を作り、大臣の育偈(いくげ)に舞を作らせ、その薬草をかたどった甲を被らせて舞わせることにしたとされています。桓武天皇(かんむてんのう)の延暦年間(782〜805)に遣唐舞生・和邇部島継(わにべのしまつぐ)が、わが国に伝えたといわれています。 |
蘇莫者(そまくしゃ)
この曲の舞のお面は何とも愉快な表情をしています。口を開け、赤い舌を出し、顔全体が金漆塗りで仕上げています。山神の老猿といわれています。由来は諸説ありますが、役(えん)の行者が下山途中に笛を吹いていると、そのすばらしい笛の音に合わせて山の神が老猿の姿になって舞った姿を舞にしたと伝えられます。また、聖徳太子が信貴山で笛を吹いている時に山の神が現れ舞った姿を舞にしたという説もあります。
舞は、メロディーに合わせてゆったりと舞いますが、舞振りは非常に滑稽で、まさに猿人の動きです。ゆったりとした動きの中に、機敏な動きが見受けられます。この舞は四天王寺の薗家の伝承の舞でした。一子相伝の曲です。 |
蘇利古(そりこ)
曲の由来は詳しいことは不明ですが、舞人の面が非常に変わっています。「雑面(ぞうめん)」という紙の面で、顔を象り目・鼻・口・頬・眉毛を墨で書き、目の箇所に切り込みを入れて見ることができるようにしています。舞人は桴(ばち)を持ち、これを「曽利古」というので、曲名になったともいわれています。
舞は4人の平舞(ひらまい)になります。雑面は非常に視野が悪いので、合わせるのがとても難しいことになります。装束は右方襲装束で諸肩脱ぎとなり、頭に冠をかぶります。
一般的に舞楽は舞人が退場するときも曲を演奏しますが、この曲は舞台上で止め手となり、舞人が演奏なしで退場することになる、不思議な舞です。 |
| <た行> |
太平楽(たいへいらく)
唐楽に属する太食調(たいしきちよう)の舞楽曲。太平を祝うもので、即位礼の祝賀に演じます。古代の中国の武人の装束である甲冑姿で鉾(ほこ)、続いて太刀を手にして舞う四人舞です。演奏の構成は、道行の序は「朝小子(ちようこし)」、破は「武昌楽」、急は「合歓塩(がっかえん)」の三曲から成ります。
舞楽中で最も豪華な装束や持物を使用しており、秦王破陣楽(じんのうはじんらく)のものを流用したと伝えられています。舞楽の装束には一曲につき、一装束のものがいくつかあり、これを「別様装束」と言いますが、この曲もそれにあたります。 |
長慶子(ちょうげいし)
太食調の曲で、舞はございません。平安時代中期、笛・篳篥・琵琶・琴(箏:そう)の名手であり、映画『陰陽師』でも登場してくる源博雅(ひろまさ)が作曲したと伝えられています。舞楽の演奏が終わり、参会者が退出する際に演奏される曲とされ、現在でも演奏会の最終曲として頻繁に演奏される有名な曲です。
源博雅は公卿・雅楽家で、克明親王の第一王子、醍醐天皇の孫で、母は、天神様の御祭神である菅原道真公と対立をした藤原時平の娘になります。 |
登天楽(とうてんらく)
「登殿楽」ともいいます。実は、作曲・作舞者は不明です。高麗楽ですが、日本で作られたといわれています。高麗双調に属する曲で、「蛮絵装束(ばんえしょうぞく)」を着用する四人舞です。子供が舞う童舞(わらべまい)のようです。曲の由来などはわかりませんが、文字通り「天に登る」「殿(宮中)に登る」ということかもしれません。「天」を「殿」に置き換える曲で有名なのが、「越天(殿)楽:えてんらく」ですが、共通項目があるのかもしれません。 |
豊栄(とよさか)の舞
神社の結婚式等で巫女が舞っているのご覧になったことがあるかもしれません。その曲の一つが「豊栄の舞」です。この曲は古い雅楽曲とは異なり、1950年に越天楽と風車で構成した曲に、臼田甚五郎氏が歌詞を付けたものです。乙女の舞とも呼ばれており、舞人は榊または季節の花を右手に持って舞います。 |
| <な行> |
納曽利(なそり)
「納曾利」は別名を「双龍舞(そうりゅうのまい)」というように、昔宮中に雄雌の青竜が降り立ち、聖寿を祝ってたわむれ遊んでいる様を写したものといわれています。右舞の代表的な走舞です。
「蘭陵王」の装束は、赤中心の色合いでしたが、「納曾利」の装束は紺・緑系です。「蘭陵王」と同様、裲襠(りょうとう)装束をつけますが、その装束の刺繍は、「蘭陵王」のものは龍、「納曾利」のものは鳥が描かれています。竜を象どった吊りあごの面をつけ、銀色の桴をもって舞います。競馬の勝負舞として右方の勝者を祝って奏されます。
高麗笛と篳篥の旋律の絡まり合いも2匹の龍のようです。 |
| <は行> |
陪臚(ばいろ)
「越殿楽」などように2拍2拍ではなく、2拍と4拍を交互に繰り返す「只(ただ)拍子」という闊達なリズムで、曲の後半は太鼓もテンポよく打たれます。舞楽もあります。
「蘭陵王(らんりょうおう)」とともに、「林邑八楽(りんゆうはちがく)」の一つに数えられ、天平8(736)年にインドの僧・婆羅門(ばらもん)僧正と林邑(ベトナム)の僧・仏哲(ぶってつ)が四天王寺の楽人に伝えたといわれています。
この曲を七返奏したときに「舎毛音(しゃもうのこえ)」という音があると戦勝するという伝えがあり、聖徳太子が物部守屋を戦ったときもこの音があり、舞はその時の戦を象ったものといわれています。舞の時は、「八多羅(やたら)拍子」(=「やたら○○」の語源になったといわれています)という、より躍動感のあるリズムになり、太刀や鉾、盾を持ちます。 |
抜頭(ばとう)
雅楽に調子が六つありますが、その中の太食調(たいしきちょう)のに分類されます。舞は、唐の后が嫉妬して鬼になったとも、また父親を猛獣に噛まれた子が獣を捜し求め殺し歓喜する様ともいわれています。天平年間にわが国に伝えられたといわれています。
この舞は、右方(うほう)と左方(さほう)の二様の舞法が伝えられています。左方の舞は、曲の拍子は只拍子(ただびょうし)=6拍で、右方の曲の拍子は夜多羅拍子(やたらびょうし)=5拍になります。面は非常に誇張した顔つきをしており、目は大きく、眉(まゆ)は大きく上向きに跳ね上がり、鼻は大きな団子鼻のものや鷲鼻のものがあります。口はへの字に歯をむき出しにしています。面自体が、強くすさまじい動きを持っています。
髪を振り乱して舞う様は、何とも迫力があります。 |
武徳楽(ぶとくらく)
壱越(いつこつ)調の唐楽で、別名「武頌楽(ぶしょうらく)」とも呼ばれています。『項羽と劉邦』の”劉邦”でも有名ですが、中国漢の高祖の作といわれています。残念ながら舞は伝えられておりません。現在伝承されている曲は、三十六歌仙の一人である、左近衛権少将 藤原忠房により手が加えられていると伝えられています。彼は宇多天皇の勅令により、「相撲節会(すまひのせちえ)」のために改作し、その後は、宮中の武徳殿で行われた「小五月会(こさつきのえ)」に演奏されていたようです。小さくまとまった楽曲で、さまざまな儀式での奏楽によく使われています。 |
北庭楽(ほくていらく)
別名「北亭楽」とも。壱越調の曲で、舞(4人舞)もあります。菅原道真を抜擢したことで、有名な宇多天皇(887〜896)は退位後、亭子院と呼ばれていましたが、彼が不老門の北庭で作らせたことからこの曲名になったと伝えられています。曲は大戸清上、舞は三嶋武蔵の作といわれています。舞人は右肩を脱いだ襲(かさね)装束を着て鳥甲を着けて舞います。 |
| <ま行> |
萬歳楽(まんざいらく)
この曲の由来はいくつかの説があり、随の煬帝(ようだい・6世紀)が白明達に作らせた、唐の賢王の治世の時に鳳凰が飛来して、「賢王万歳」と囀(さえず)る声を楽に、飛ぶ姿を舞にしたとも伝えられています。
左方四人平舞の最も演奏される名舞曲です。古来より皇室では天皇の即位に演奏され、祝い事・祝辞には「延喜楽」と共に演奏されることが多いです。 |
萬秋楽(まんじゅうらく)
後漢の明帝(57〜75)が仏教を迎えたとき、インドの僧侶が経巻を白馬に乗せ、この曲を奏しながら入国したと伝えられている曲です。日本には、聖武天皇(724〜749)の頃、林邑(りんゆう)の僧侶 仏哲(ぶってつ)によって伝えられたといわれています。 舞も残っている曲で、左方の六人舞です。装束は、左方襲(さほうかさね)の諸肩(もろかた)脱いだ着装形態です。甲(かぶと)は、別甲で和紙の張り合わせに、桐・竹・唐草の地紋のある金襴を張り、その上に無地の金円を3枚張ってあります。秋を代表する曲です。 |
| <ら行> |
蘭陵王(らんりょうおう)
由来には諸説ありますが、最も有力なものは、中国南北朝時代の北斉(549〜577)蘭陵群の王・長恭(ちょうけい)の故事に基づくもの。
長恭は才知武勇の王でありましたが、あまりに容貌が美しく、戦場での兵士の士気が上がりませんでした。そこで恐ろしい面を付けて戦に臨んだところ、見事勝利したと伝えられています。その戦勝の様を舞にしたものです。
頭上に龍の彫刻をつけた恐ろしい面をつけ、躍動的に舞う「走舞(はしりまい)」(勇壮活発に舞われるもの)です。面の顎の部分は紐でつながれており、動くようになっています。身に付ける衣裳は、「裲襠(りょうとう)装束」といい、裲襠には前後に龍の刺繍が二つ施してあります。
「陵王」、「羅陵王」とも言います。 |
塩梅(あんばい)
よく塩加減がちょうど良いときに「いい塩梅」と言います。これは篳篥の奏法、「塩梅(えんばい)」からきていると言われています。穴を押さえる指は変えずに、吹き方の加減で音の高さを変える奏法で、これが「塩梅」です。旋律を特徴づける重要な役目を果たしており、これが上手にできると「良い塩梅」。これが語源といわれています。 |
打ち合わせ
物事がうまく運ぶように事前に相談することを「打ち合わせ」といいますが、これも雅楽の演奏に由来する言葉です。合奏のときに、各楽器のリズムを合わせるために、笏拍子(しゃくびょうし)などの打ち物を打って拍子を取ることを「打ち合わせ」といっていたことから、現在のように使われるようになったそうです。 |
上手い
唐を経由して伝来したものを「左方舞(左舞:さまい)」、朝鮮半島(高麗)を経由して伝来したものを「右方舞(右舞:うまい)」と呼びます。この右方舞(右舞)が上達することから、「右舞=上手い」になったとも言われています。 |
乙(な味)
「乙な味ですね」などと使われる言葉がありますが、この「乙」はどんな意味なのでしょうか?実はこれも雅楽などの古典音楽から来た言葉といわれています。「乙」は低い音域で、低くてしんみりした調子、渋い響きとされていて、これが江戸時代になると音楽以外にも使われるようになったようで、深みのある、じわっと広がる粋な味の表現にも広がったといわれています。 |
楽屋
役者などが化粧をしたり衣裳を着けたり、準備をする場所を楽屋といいますが、もともとは楽器を置いたりする場所、舞楽の演奏者が舞台の後ろの幕の内で演奏していた場所を「樂之屋」と呼んだのが楽屋の語源といわれています。 庭に舞台を造る時は、楽屋は舞台のそばに仮設したり、回廊に幕をはり楽屋としました。舞台より3間余り後に、横3間、奥行4間余りを楽屋とし、前の方を管方の演奏する場所、後を屏風で隔てて舞人が装束を着ける場所としたそうです。楽屋は文字の通り音楽を奏する場所だったようです。 |
様(さま)になる
雅楽には演奏のみの管弦と、それに舞が加わった舞楽があります。また、舞については、唐を経由して伝来したものを「左方舞(左舞:さまい)」と言い、朝鮮半島(高麗)を経由して伝来したものを「右方舞(右舞:うまい)」と呼びます。この左方舞(左舞)が上達することから、「左舞(さまい)なる」、「様になる」になったと言われています。 |
芝生
雅楽は昔は当然ホールなどないわけですから、外で演奏・鑑賞するものでした。芝生の上で行うわけです。実はこの芝生に座ることを芝居といい、特に社寺で行う雅楽や東遊(あずまあそび)・田楽・猿楽・神楽・能などを大衆向けに行いときの柵で囲った芝生の観客席のことをいいました。 縁起は保延二年(1136年)にまで溯るという春日大社の春日若宮御祭は有名ですが、御旅所で神様が一日を過ごされる仮宮の前に、芝を生やした舞台があり、これが芝生の語源といわれています。 |
千秋楽(せんしゅうらく)
「千秋楽」と聞くと相撲や演劇の最終日を思い出すとことでしょう。しかしこれも雅楽からきた言葉といわれています。盤渉調(ばんしきちょう)という調子の中にこの曲があり、仏教の法要の最後に奏されたことで、相撲などの最終日を「千秋楽」と呼ぶようになったといわれています。ちなみにこの曲は日本で1144年に作曲されました。 |
頭取(とうどり)
今では銀行における肩書きとして有名です。実はこの言葉も雅楽用語が語源になったと言われています。雅楽演奏時、各楽器にはリーダー的存在の「音頭(おんど)取り」と呼ぶ役割がおります。その曲の雰囲気まで左右しかねないので、それなりの技術を持った人が担当します。転じてこれが今の「頭取」という言葉になったと言われています。 |
二の句が継げない
この言葉は平安時代に出来た朗詠から生まれました。朗詠は漢詩を三つの部分に分けて、順に一の句・二の句・三の句とし、一の句は低音域で歌いますが、二の句は高音域、三の句は中音域で歌います。二の句は高音のまま歌い続けて、息切れしやすく、一の句から急に音域が変わって高い声で歌われ、うまく引き継いで歌うことが難しいことから、声に出せないさまを「二の句が継げない」と言うようになりました。 それから、あきれて次の言葉が出ないことにも、この言葉を使うようになりました。 |
二の舞
人の後に出てその真似をすること、特に前の人と同じような過ちや失敗をすることを「二の舞を踏む」とか「…の二の舞」などといいます。これは雅楽の中の舞楽「安摩(あま)」に由来します。「安摩」という舞に続いて、「咲面(わらいめん)」と「腫面(はれめん)」をつけた二人が、前に舞った「安摩」のまねをして舞おうとしますが、わざと失敗しながら滑稽に舞います。これを「二の舞」といっていました。 |
左ぎっちょ
舞楽の中に「打球楽(だきゅうらく)」という4人で舞う曲があります。この舞では、「球子(きゅうし)」という球状のものと、「毬打(ぎっちょう)」という先の曲がった杖状のもの(ホッケーで使用するスティックのようなもの)を使います。曲後半になると、懐から「球子」を取り出して、その回りを「毬打」で打つ仕草を繰り返します。この毬打は通常右手で持ちます。 あるとき、高貴な人がこの舞を舞った際、左手に毬打を持って舞いました。しかし高貴な人であるため、この間違いを指摘することなく、舞い終えたといわれ、これを「左手に毬打を持って舞った」、転じて「左毬打」、「左ぎっちょ」という言葉ができたといわれています。 |
やたら・夜多羅
「むやみに、いい加減に」の意味で、「やたらに多い」「やたらめったら」などの言葉を使いますが、これも雅楽用語から来たという説があります。雅楽では「夜多羅」「八多良」などと書きます。拍子の一つで、二拍・三拍と続く拍子のことを「夜多羅拍子(やたらびょうし)」というものがあり、舞楽などに多い拍子です。騎馬民族に見られる三拍子を農耕民族である日本人には難しかったようで、そこからむやみにという意味のが生まれ、なかなかうまくいかない、めちゃくちゃになってしまうことを「やたらに」というようになったといわれています。 |
野暮(やぼ)
管楽器の笙(しょう)は、17本の竹を束ねています。その内の何本かを一緒に押さえることで幻想的な音を出すことができます。それぞれの竹には名称があり、その中に「也(や)」と「毛(もう)」と呼ぶ竹があります。1本の竹でも音が出ますが、この「也・毛」の2本は音が出ません。これは大陸から笙が伝来されてから、日本の音楽に馴染まないため、外されてしまったと伝えられています。以来、「やもう」「やも」「やぼ」と変化して、役に立たない意味となり、無骨な事や事情に通じないことを言う人に「やぼなことを言う」というようになった、といわれる説があります。 |
呂律(ろれつ)が回らない
この「呂律(ろれつ)」も中国から伝わった「りょりつ」という雅楽の言葉です。雅楽の音階に「呂(りょ)」と「律(りつ)」の二つがあり、あわせて「呂律」ともいい、この音階が合わない、うまくいかないことから、酒に酔ったときなどうまく話せない、言葉がはっきりしないことを「呂律が回らない」と言うようになりました。 江戸前期の「男重宝記(なんちょうほうき)」には、「ろれつがまはらぬは、呂律(りょうりつ)也」とあり、この頃から「ろれつ」と読んでいたようです。 |