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赤坂氷川神社

鎮座より一千年余、「厄除」「縁結び」の信仰が篤い赤坂氷川神社。徳川吉宗公建立の御社殿は、幾多の震災・戦災を免れ建立当時の姿を現代に伝えます。緑豊かな境内には、江戸の年号が刻まれた鳥居・狛犬・灯籠が現存しており、都内では珍しい江戸の情景を数多く残す神社です。

御祭神

  • 素盞嗚尊すさのおのみこと

    伊勢の神宮で祀られる天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟神です。勇猛果敢な神様であり、日本神話では八つの頭と尾を持つという八岐の大蛇(やまたのおろち)を退治されました。その際に得た、神剣・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、三種の神器のひとつ「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」と伝えられております。
  • 奇稲田姫命くしいなだひめのみこと

    「稲の稔る田」の象徴とされる豊穣を司る神様で、八岐の大蛇の生贄となったところを素盞嗚尊に助け出されました。のちに2柱の神様はご結婚をされ、島根県の出雲に宮殿を構えられました。この際に素盞嗚尊が詠まれた「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠み(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を」は和歌の起源とされております。
  • 大己貴命おおなむぢのみこと (別名/大国主命)

    素盞嗚尊と奇稲田姫命のご子孫にあたられ、出雲大社の御祭神である大国主命と同じ神様です。穀物の神様である少彦名命(すくなびこなのみこと)とともに豊かな国づくりを進められ、農業・漁業・医療・殖産など数多くの知恵を授けられました。『出雲国風土記』には「天の下造らしし大神」と称えられています。

御神徳

厄除 縁結び 家内安全 商売繁昌

八岐大蛇を退治した素盞嗚尊をお祀りしていることから、古来より「厄除」の御神徳ありと伝えられます。素盞嗚尊の御神名の「すさ」という言葉は、「すさぶ(荒ぶる)」の意味があり、穢れ・災い・災厄など悪しきことを荒々しい力で祓い清めるお力があることを表しております。

また、素盞嗚尊と奇稲田姫命の夫婦神と大己貴命(大国主命)をお祀りしていることから「縁結び」の御神徳も強くあります。特に、大己貴命はあらゆる「むすび」の神様であり、男女のご縁だけでなく友人、仕事や子宝など様々なご縁を結ぶといわれております。

例祭日

毎年 9 月 15 日

氏子地域

元赤坂1丁目・2丁目
赤坂1丁目~9丁目
六本木1丁目・3丁目・4丁目の一部
虎ノ門1丁目1番

幕末切絵図

御由緒 沿革

氷川の名称の由来は、出雲国 簸川(現在の島根県斐伊川)にあるとされ、簸川の上流は御祭神 素盞嗚尊の「八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)」の舞台と伝えられております。

当社の創祀は、天暦5年(951年)東国を遊行していた蓮林僧正が一ツ木村(現在の赤坂4丁目付近)で一夜を明かすと夢中で御祭神のお告げがあり、この地に氷川明神の社殿を建てお祀りをしたことにはじまります。これより凡そ100年後の治暦2年(1066年)の夏、関東一円に大きな旱魃(かんばつ)があり、苦しむ村人たちが社に雨乞いの祈願をするとたちまち雨が降りはじめ、その雨量は川ができるほどであったようです。以来よく神事が執り行われるようになります。

江戸中期の享保元年(1716年)、紀州徳川家の吉宗公が8代将軍職を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、氷川明神への幕府の尊信は高まりました。
同14年(1729年)、吉宗公は老中水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営しました。翌15年(1730年)4月26日に一ツ木村から現在地への遷座が行われ、28日には吉宗公直々のご参拝がありました。
以後14代将軍家茂公までの歴代将軍の朱印状が下付され、「厄除」「縁結び」の鎮守神としてより一層ご神徳を高められました。

明治元年、明治天皇より新しい首都東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」に定められ、現在では「東京十社」の一社に数えられております。

御社殿は、安政の大地震、関東大震災、昭和20年(1945年)の東京大空襲など数々の災禍を奇跡的に免れ、創建当時の姿を現代に伝えており、昭和51年(1976年)に東京都の有形文化財(建築物)に指定をされております。また、豊かな緑に囲まれた境内には、江戸の年号が刻まれた石碑と灯籠、7対の狛犬など歴史を感じさせる遺産が数多く点在しています。

江戸名所図会